「 関根金次郎 」


  • 手数将棋

  •  さういふ風に、ひどく元気で寒さも凌(しの)ぐことも出来たから、今年は場合によつては、水戸へも、仙台へも、豊橋へも、それから九州へも行つて、大いに動かうかとも考へてゐる。

    さうなればまたお土産の話もあるし、或ひは忘れてゐた昔の話を思ひ出すよすがにもならうと思ふ。


2006-12-16T12:26:28

Wikipedia:関根金次郎


関根 金次郎(せきね きんじろう、1868年4月23日(慶応4年4月1日)-1946年(昭和21年)3月12日)は、日本の棋士 (将棋) 将棋棋士。13世名人戦 (将棋) 名人。近代将棋の父とも言われる。
11歳で11世名人伊藤宗印 (8代) 伊藤宗印に弟子入りする。当時、将棋界は低迷期にあり、将棋指しは半端者と見られていた。その後、20歳で三段。しかし、1893年(明治26年)に師匠の11世名人伊藤宗印が死去すると、12世名人を政界などの後押しを受け小野五平が継ぐことになった。それに怒った関根は、五平に果たし状を叩き込むが、政界などが仲介に入り決着。
ライバルとも言われる阪田三吉 坂田三吉との対局は特に有名で、1894年(明治27年)の初手合わせは三度戦って関根の2勝1敗。最後の対局(1918年、大正7年)までに生涯32局戦い、関根の15勝16敗一分だった。