「 淡島寒月 」


  • 土俗玩具の話

  •  鷹山(ようざん)上杉治憲(うえすぎはるのり)公が日向高鍋(たかなべ)城主、秋月家より宝暦十年の頃十歳にして、米沢上杉家へ養子となって封を襲うた関係上、九州の特色ある玩具が奥州に移ったものと見られる。

    仙台地方に流行するポンポコ槍(やり)の尖端(せんたん)に附いている瓢(ひさご)には、元来穀物の種子が貯えられたのである。

    これが一転して玩具化したのである。


2006-12-16T12:33:00

Wikipedia:淡島寒月


淡島 寒月(あわしま かんげつ、本名:淡島宝受朗、1859年(安政6年)10月23日 - 1926年(大正15年)2月23日)は、明治時代の日本の作家、画家、古物収集家。父親は画家の淡島椿岳。
広範な知識を持った趣味人であり、元禄の作家井原西鶴を再評価し、幸田露伴や尾崎紅葉に紹介したエピソードで有名である。
収集家としても有名であり、住居の梵雲庵には三千あまりの玩具と江戸文化の貴重な資料があったが、関東大震災の際に全て焼失した。
日本橋 (東京都) 日本橋馬喰町4丁目に生まれる。淡島家の家業は軽焼きの名店淡島屋であり、非常に裕福であった。父親の椿岳には160人の愛妾がいたという。