開扉一妖帖
「いえね、お前さん出来るわけがありますの。
……その野宿で倒れた時さ――当にして行った仙台の人が、青森へ住替えたというので、取りつく島からまた流れて、なけなしの汽車のお代。
盛岡とかいう処で、ふっと気がつくと、紙入がない、切符がなし。
まさか、風体を視(み)たって箱仕事もしますまい。
間抜けで落したと気がつくと、鉄道へ申し訳がありません。
どうせ、恐入るものをさ、あとで気がつけば青森へ着いてからでも御沙汰(おさた)は同じだものを、ちっとでも里数の少い方がお詫(わび)がしいいだろうでもって、馬鹿さが堪(たま)らない。
お前さん、あたふた、次の駅で下りましたがね。
あわてついでに改札口だか、何だか、ふらふらと出ますとね、停車場も汽車も居なくなって、町でしょう、もう日が、とっぷり暮れている。
夜道の落人、ありがたい、網の目を抜けたと思いましたが、さあ、それでも追手が掛(かか)りそうで、恐い事――つかまったって、それだけだものを、大した御法でも背いたようでね。
ええ、だもんだから、腹がすけば、ぼろ撥(ばち)一挺(ちょう)なくっても口三味線で門附けをしかねない図々しい度胸なのが、すたすたもので、町も、村も、ただ人気のない処と遁(に)げましたわ、知らぬ他国の奥州くんだり、東西も弁(わきま)えない、心細い、畷道(なわてみち)。
赤い月は、野末に一つ、あるけれど、もと末も分らない、雲を落ちた水のような畝(うね)った道を、とぼついて、堪らなくなって――辻堂へ、路傍(みちばた)の芒(すすき)を分けても、手に露もかかりません。
いきれの強い残暑のみぎり。
2006-12-16T12:51:47