「 泉鏡花 」


  • 開扉一妖帖

  • 「いえね、お前さん出来るわけがありますの。

    ……その野宿で倒れた時さ――当にして行った仙台の人が、青森へ住替えたというので、取りつく島からまた流れて、なけなしの汽車のお代。

    盛岡とかいう処で、ふっと気がつくと、紙入がない、切符がなし。

    まさか、風体を視(み)たって箱仕事もしますまい。

    間抜けで落したと気がつくと、鉄道へ申し訳がありません。

    どうせ、恐入るものをさ、あとで気がつけば青森へ着いてからでも御沙汰(おさた)は同じだものを、ちっとでも里数の少い方がお詫(わび)がしいいだろうでもって、馬鹿さが堪(たま)らない。

    お前さん、あたふた、次の駅で下りましたがね。

    あわてついでに改札口だか、何だか、ふらふらと出ますとね、停車場も汽車も居なくなって、町でしょう、もう日が、とっぷり暮れている。

    夜道の落人、ありがたい、網の目を抜けたと思いましたが、さあ、それでも追手が掛(かか)りそうで、恐い事――つかまったって、それだけだものを、大した御法でも背いたようでね。

    ええ、だもんだから、腹がすけば、ぼろ撥(ばち)一挺(ちょう)なくっても口三味線で門附けをしかねない図々しい度胸なのが、すたすたもので、町も、村も、ただ人気のない処と遁(に)げましたわ、知らぬ他国の奥州くんだり、東西も弁(わきま)えない、心細い、畷道(なわてみち)。

    赤い月は、野末に一つ、あるけれど、もと末も分らない、雲を落ちた水のような畝(うね)った道を、とぼついて、堪らなくなって――辻堂へ、路傍(みちばた)の芒(すすき)を分けても、手に露もかかりません。

    いきれの強い残暑のみぎり。


2006-12-16T12:51:47

  • 木の子説法

  •  ――覚えていますが、その時、ちゃら金が、ご新姐に、手づくりのお惣菜、麁末(そまつ)なもの、と重詰の豆府滓(とうふがら)、……卯(う)の花を煎(い)ったのに、繊(せん)の生姜(しょうが)で小気転を利かせ、酢にした鰯(しこいわし)で気前を見せたのを一重。

    ――きらずだ、繋(つな)ぐ、見得(けんとく)がいいぞ、吉左右(きっそう)! とか言って、腹が空(す)いているんですから、五つ紋も、仙台平(ひら)も、手づかみの、がつがつ喰(ぐい)。

    ……

2006-12-16T12:47:00

  • 燈明之巻

  • 「やっと、お天気になったのが、仙台からこっちでね、いや、馬鹿々々しく、皈(かえ)って来た途中ですよ。


2006-12-16T12:35:09

  • 七宝の柱

  •  と笑って、一つ一つ、山、森、岩の形を顕(あら)わす頃から、音もせず、霧雨になって、遠近(おちこち)に、まばらな田舎家(いなかや)の軒とともに煙りつつ、仙台に着いた時分に雨はあがった。


2006-12-16T12:33:37

Wikipedia:泉鏡花


泉 鏡花(いずみ きょうか、1873年11月4日 - 1939年9月7日)は明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家である。本名、鏡太郎。金沢市下新町生れ。
尾崎紅葉に師事し、『夜行巡査』『外科室』で評価を得、『高野聖』で人気作家になる。江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンチズムで知られる。作『婦系図』『歌行燈』『夜叉ヶ池』など。
1873年(明治6年)11月4日、石川県金沢市下新町に生れる。本名:鏡太郎。父・清次(一名政光)は錺職の職人、母・鈴は葛野流大鼓方中田家の人で江戸の生れであった。幼少期における故郷金沢や母親の思いでは後年に至るまで鏡花の愛惜措くあたわざるものであり、折にふれて作品のなかに登場する。