「 正岡子規 」


  • 墨汁一滴

  •  近日我貧厨(ひんちゅう)をにぎはしたる諸国の名物は何々ぞ。

    大阪の天王寺蕪(かぶら)、函館の赤蕪(あかかぶら)、秋田のはたはた魚、土佐のザボン及び柑(かん)類、越後(えちご)の鮭(さけ)の粕漬(かすづけ)、足柄(あしがら)の唐黍(とうきび)餅、五十鈴(いすず)川の沙魚(はぜ)、山形ののし梅、青森の林檎羊羹(りんごようかん)、越中(えっちゅう)の干柿(ほしがき)、伊予の柚柑(ゆずかん)、備前(びぜん)の沙魚、伊予の緋(ひ)の蕪及び絹皮ザボン、大阪のおこし、京都の八橋煎餅(やつはしせんべい)、上州(じょうしゅう)の干饂飩(ほしうどん)、野州(やしゅう)の葱(ねぎ)、三河(みかわ)の魚煎餅、石見(いわみ)の鮎(あゆ)の卵、大阪の奈良漬、駿州(すんしゅう)の蜜柑(みかん)、仙台の鯛(たい)の粕漬、伊予の鯛の粕漬、神戸の牛のミソ漬、下総(しもうさ)の雉(きじ)、甲州の月(つき)の雫(しずく)、伊勢の蛤(はまぐり)、大阪の白味噌、大徳寺(だいとくじ)の法論味噌、薩摩(さつま)の薩摩芋、北海道の林檎、熊本の飴(あめ)、横須賀の水飴、北海道の(はららご)、そのほかアメリカの蜜柑とかいふはいと珍しき者なりき。

    (二月九日)

2006-12-16T12:45:27

Wikipedia:正岡子規


正岡 子規(まさおか しき、慶応3年9月17日 (旧暦) 9月17日(1867年10月14日) - 明治35年(1902年)9月19日)は俳人・歌人・国語学研究家である。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。
俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に渡り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人である。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。享年34。辞世の句「ヘチマ 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」「をとゝひのへちまの水も取らざりき」より、子規の忌日9月19日を「糸瓜忌」といい、雅号の一つから「獺祭(だっさい)忌」ともいう。