Wikipedia:広津柳浪
広津 柳浪(ひろつ りゅうろう、文久元年6月8日 (旧暦) 6月8日 - 1928年(昭和3年)10月15日)は、日本の小説家。本名、直人。肥前国長崎市 長崎の生まれ。東京大学医学部卒。
硯友社同人となり、「残菊」で認められる。「変目伝」「今中心中」「黒蜥蜴」などの低階級社会の暗部を描いた深刻小説、悲惨小説を発表した。小説家の広津和郎は子。
文久元年6月8日、肥前国長崎市 長崎材木町に、広津弘信 広津俊蔵(弘信)、りうの次男として生れた。幼名は金次郎。広津家はもともと久留米藩 久留米藩士で、父は富津南嶺と号した名医であった(のち明治政府の下で外交官となり、初期の日朝関係を担当した)。兄は正人、後に弟武人、妹のぶが生れた。9歳で肥前国田代在酒井村の伯母サワの磯野家のもとへ行き、姫方村の塾で漢学などを学んだ。2年後久留米を経て長崎に帰り、1873年(明治6年)に長崎市向明学校に入学。翌年一家が東京麹町に移ったため、番町小学校に入り、好成績で卒業。ドイツ語を外国語学校で学び、東京大学医学部予備門に入った。だが1878年(明治11年)、肺尖カタルを病み、そのまま退学する。この年の春、父の友人五代友厚にさそわれて大阪へ行き、見習いとして五代家に居候することになった。結果、農商務官吏となったが、それよりも『南総里見八犬伝』『水滸伝』などを読み、文学へ興味を示した。父の死後は生活が荒れ、農商務省をやめ生活に困窮する。