家(上巻)
東京で送った二年――殊(こと)にその間の冬休を三吉叔父と一緒に仙台で暮したことは、正太に取って忘れられなかった。
東京から押掛けて行くと、丁度叔父は旅舎(やどや)の裏二階に下宿していて、相携えて人を訪ねたり、松島の方まで遊びに行ったりした。
あの時も、仙台で、叔父の書いたものを見せて貰って、寂しい旅舎の洋燈(ランプ)の下でその草稿を読み聞かせながら、一緒に長い冬の夜を送ったことが有った。
それを正太は言出さずにいられなかった。
2006-12-16T12:42:10
東京で送った二年――殊(こと)にその間の冬休を三吉叔父と一緒に仙台で暮したことは、正太に取って忘れられなかった。
東京から押掛けて行くと、丁度叔父は旅舎(やどや)の裏二階に下宿していて、相携えて人を訪ねたり、松島の方まで遊びに行ったりした。
あの時も、仙台で、叔父の書いたものを見せて貰って、寂しい旅舎の洋燈(ランプ)の下でその草稿を読み聞かせながら、一緒に長い冬の夜を送ったことが有った。
それを正太は言出さずにいられなかった。
2006-12-16T12:42:10
街道には、毛付(けづ)け(木曾福島に立つ馬市)から帰って来る百姓、木曾駒(きそごま)をひき連れた博労(ばくろう)なぞが笠(かさ)と合羽(かっぱ)で、本陣の門前を通り過ぎつつある。
半蔵はこの長雨にぬれて来た仙台(せんだい)の家中を最近に自分の家に泊めて見て、本陣としても問屋としても絶えず心を配っていなければならない京大坂と江戸の関係を考えて見ていた時だ。
その月の十二日とかに江戸をたって来たという仙台の家中は、すこしばかりの茶と焼酎(しょうちゅう)を半蔵の家から差し出した旅の親しみよりか、雨中のつれづれに将軍留守中の江戸話を置いて行った。
当時外交主任として知られた老中格の小笠原図書頭(おがさわらずしょのかみ)は近く千五、六百人の兵をひき連れ、大坂上陸の目的で横浜を出帆するとの風評がもっぱら江戸で行なわれていたという。
これはいずれ生麦(なまむぎ)償金授与の事情を朝廷に弁疏(べんそ)するためであろうという。
この仙台の家中の話で、半蔵は将軍還御(かんぎょ)の日ももはやそんなに遠くないことを感知した。
近く彼が待ち受けている大坂御番衆の江戸行きとても、いずれこの時局に無関係な旅ではなかろうと想像された。
同時に、京都引き揚げの関東方の混雑が、なんらかの形で、この街道にまであらわれて来ることをも想像せずにはいられなかった。
2006-12-16T12:40:18
Wikipedia:島崎藤村