「 寺田寅彦 」


  • 備忘録

  •  その後妻が近所で捨てられていた子猫(こねこ)を拾って来た。

    大部分まっ黒でそれに少しの白を交えた雌猫であった。

    額から鼻へかけての対称的な白ぶちが彼女の容貌(ようぼう)に一種のチャームを与えていた。

    著しく長くてしなやかなしっぽもその特徴であった。

    相当大きくなっていながら通りがかりの人に捕えられるくらいであるから鷹揚(おうよう)というよりはむしろ愚鈍であるかと思われた。

    しかしまた今までうちにいたどの猫にもできなかった自分で襖(ふすま)を明けて出はいりするという術を心得ていた。

    しっぽを支柱にしてあと足で長く立っていられるのもまたその特技であった。

    この「チビ」は最初の産褥(さんじょく)でもろく死んでしまった。

    その後仙台(せんだい)へ行ってK君を訪問すると、そこにいた子猫がこれと全く生き写しなのでまた驚かされた。


2006-12-16T12:48:32

  •  明治三十七年の夏休みに陸中釜石(かまいし)附近の港湾の潮汐(ちょうせき)を調べに行ったときの話である。

    塩釜(しおがま)から小さな汽船に乗って美しい女学生の一行と乗合せたが、土用波にひどく揺られてへとへとに酔ってしまって、仙台で買って来たチョコレートをすっかり吐いてしまった。

    釜石の港へはいると、何とも知れない悪臭が港内の空気に滲み渡っていて、浜辺に近づくほどそれが猛烈になる。

    夥(おびただ)しいかもめの群れが渦巻いている。

    いかの大漁があったのが販路を失って浜で腐ったのであった。

    上陸後半日もすると、われわれ一行の鼻の神経は悪臭に対して無感覚となって、うまく飯が食えるようになった。


2006-12-16T12:38:46

  • 柿の種

  •  大正九年ごろから、友人松根東洋城(まつねとうようじょう)の主宰する俳句雑誌「渋柿」の巻頭第一ページに、「無題」という題で、時々に短い即興的漫筆を載せて来た。

    中ごろから小宮豊隆(こみやとよたか)が仲間入りをして、大正十四、五年ごろは豊隆がもっぱらこの欄を受け持った。

    昭和二年からは、豊隆と自分とがひと月代わりに書くことになった。

    昭和六年からは「曙町(あけぼのちょう)より」という見出しで、豊隆の「仙台より」と、やはりだいたいひと月代わりに書いて来た。

    それがだんだんに蓄積してかなりの分量になった。


2006-12-16T12:27:06

Wikipedia:寺田寅彦


寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年11月28日 - 1935年12月31日)は、日本の男性物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦の筆名もある。
1878年11月28日、東京市麹町区(現在の千代田区)に高知県士族(旧足軽)寺田利正・亀夫妻の長男として誕生。寅年寅の日であったことから、寅彦と命名される。
1881年、祖母、母、姉と共に高知市に転居。
1893年、高知県尋常中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)に入学。
1896年、熊本第五高等学校に入学。英語教師夏目漱石、物理学教師田丸卓郎と出会う
1899年、東京帝国大学理科大学に入学。
1903年、東京帝国大理科大学実験物理学科卒業、大学院進学。