「 大杉栄 」


  • 自叙伝

  •  僕と一緒にこの順天中学校へはいった友人に登坂というのがいた。

    やはり僕とほとんど同時頃に、男色で、仙台の幼年学校から逐われて来たのだった。


2006-12-16T12:49:14

  • 獄中記

  •  彼と僕とはかつて同じような理由で陸軍の幼年学校を退学させられた仲間だった。

    彼は仙台の幼年校、僕は名古屋の幼年校ではあったが、もう半年ばかりで卒業という時になって、ほとんど同時に退校を命ぜられた。

    そして二人ともすぐ東京に出て来て偶然出遇った。

    彼にはなお一緒に仙台を逐い出された二人の仲間があった。

    その一人は小学校以来の僕の幼な友達だった。

    かくして四人の幼年校落武者が落ち合った。

    そしてそこへまた大阪や東京の落武者が寄り集まって、八、九人の仲間ができた。

    みんなは退校処分という恥辱を雪ぐために、互いに助け合ってうんと勉強する誓いを立てた。

    みんなはすぐにあちこちの中学校の五年へはいった。

    が、彼ともう一人の仲間とが中途で誓いを破って遊びを始めた。

    みんなは憤慨して数回忠告した。

    そしてついに絶交を宣告した。

    翌年他の仲間のみんなはそれぞれ専門学校の入学試験に通過した。

    しかしその二人だけはどこでどうしているのか分らなかった。

    みんなは絶交を悔いていた。


2006-12-16T12:32:32

Wikipedia:大杉栄


Osugi Sakaeeo:OSUGI Sakae
大杉 栄(おおすぎ さかえ、1885年(明治18年)1月17日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、社会運動家、アナキズム アナキスト。伊藤野枝との子に長女・魔子(のち真子)、次女・エマ(のち幸子)、三女・エマ(のち笑子)、四女・ルイズ(のち留意子)、長男・ネストル(のち栄)がいる。次女エマ以外は大杉・伊藤の死後、伊藤の実家に引き取られ、戸籍を届けるときに改名されたものである。
父の大杉東は軍人、親戚にも軍人がいるという家庭環境で、香川県丸亀市 丸亀で生れる。一家は東京に移り麹町区の幼稚園に通うが、父は近衛連隊から左遷され新発田市 新発田に赴任。幼少年期のほとんどを新発田で過ごす。日清戦争にも赴いた父から折りにふれ軍人として仕込まれたこともあり、軍人をめざし1899年名古屋地方幼年学校に14歳で入学。学校内で奔放な生活を送るが「下士官どもの追窮が残酷」になり修学旅行での下級生への性的な戯れに対して禁足30日の処分を受ける。それまでの生活を反省するが「尊敬も親愛も感じない上官への服従を盲従」と思うようになる。憂鬱な気分が続き故郷の「新発田の自由な空を思う」。軍医から「脳神経症」と診断され、休暇で幼年学校の外に出ると快活な少年になれたが、学校に戻ると凶暴な気分になったという。同期生との喧嘩で相手にナイフで刺される騒動を起こし学校に発覚、1901年退学処分。なお退学前の幼年学校における成績は極端なもので、実科では首席、学科では二番にもかかわらず、操行では最下位であった。