戦争に負けたが、正二郎も加えて十三名のこの一隊、一人も手傷を負った者がない。
要領のいい奴らで、戦争を遊山(ゆさん)と心得てかりそめにも勇み立つようなところがない。
しばらく旅にでるのも面白かろうと、江戸を逃げのびて、中山道から道をかえて奥州へ。
戦争話の駄ボラを吹きながら、無銭飲食、無銭遊興を重ねて、二本松から、仙台、とうとう塩竈まで逃げ落ちた。
道々の諸侯の動勢は予期に反して必ずしも幕府方ではない。
豪傑ぶって落武者をひけらかしていると、いつ召し捕えられるか知れたものではない。
江戸へ帰るわけにはいかないから、船で松前へ落ちのびることにきめた。
ところが、船をだしてくれる船頭がいないのである。
カカリアイになるのが怖いから、特別の船をだしたがらない。
松前行きの便船がでるまで待て、というので、一行は一ヶ月ほど塩竈の遊女屋に流連(いつづけ)して便船を待った。
もうヤケだった。
召し捕るなり、殺すなり、勝手にしろ。
刀をふりまわして死んでやるから。
刀をひきよせ鯉口(こいぐち)をきッて酒を浴びつづけている。
遊女屋も疫病神とあきらめはしても、彼らが浴びるほどの酒を連日はだしきれない。
そこで酒の徴発に差しむけられるのが正二郎であった。
彼が酒屋へ行って、おとなしく頼んでダメの時は、一同が刀をぬいてサイソクに行くから、最後にはどこでも、だした。