「 土井晩翠 」


  • 漱石さんのロンドンにおけるエピソード夏目夫人に ..

  •  帰国後、父の望なので東京には住せず、仙台に帰つてブラ/\して居ましたが卅八年四月二高の独語主任青木(昌吉)教授が『独乙語の教師に欠員があるから手伝はぬか』との好意と周旋とにより、甚だ覚束ない独乙語教師として二三年つとめ、続いて職員の都合がついて英語部へ移つて爾来二十余年、今日も猶ほ其運命を続けて居ります。

    非材の分止むを得ません。


2006-12-16T12:31:29

Wikipedia:土井晩翠


土井 晩翠(どい ばんすい、1871年(明治4年)10月23日 - 1952年(昭和27年)10月19日)は、日本の詩人、英文学者。本名、林吉(りんきち)。本来姓は「つちい」だが、1932年に改称。宮城県仙台市生れ。東京帝国大学英文科卒。
在学中は「帝国文学」を編集し詩を発表。男性的な漢詩調詩風で、第一詩集『天地有情』で島崎藤村と併称された。作品は「星落秋風五丈原」や、滝廉太郎の作曲が有名な「荒城の月」などのほか、校歌、寮歌にも大きな功績を残した。ホメロス、トーマス・カーライル カーライル、ジョージ・ゴードン・バイロン バイロンなどの翻訳がある。
1871年10月23日、仙台市 仙台北鍛冶町に、質屋の土井林七、あいの長男として生れた。父は文学趣味を持ち、祖母伊勢も和歌を作ったりしている。立町小学校在学時に『新体詩抄』や『十八史略』を愛読。進学を阻まれたが、のち許されて第二高等学校(現在の東北大学)を経て、1894年東京帝国大学英文科に入った。「帝国文学」を編集し、詩を発表、1898年にはトーマス・カーライル カーライルの「英雄論」を翻訳し、出版する。翌年、第一詩集『天地有情』を刊行。この詩集で島崎藤村と並び証される代表的詩人となった。二高教授として赴任後は、滝廉太郎の作曲で有名な「荒城の月」が発表され、さらに深く国民に認知された。また、日本全国の学校の校歌を作詞したことでも有名で、特に浅水小学校(宮城県登米市)などの校歌は有名である。母校である立町小学校の校歌も作詞した。