「 中里介山 」


  • 大菩薩峠農奴の巻

  •  江戸老中派遣の、わいろを取る役人が出張して、思う存分に竿を入れる。

    そのくらいだから寛厳の手心が甚しく、彦根、尾張、仙台等の雄藩の領地は避けて竿を入れず、小藩の領地になるというと、見くびって烈しい竿入れをしたものだから、領民が恨むこと、恨むこと。

    そこで、これはたまらぬと、庄屋たちが寄り集まって、竿入れ中止の運動を試みようとしたが、そこはわいろ役人に抜け目がなく、あらかじめ一切の訴願罷(まか)りならぬという覚書を取ってある。

    しかし、領民たちになってみると、死活の瀬戸際だから黙っていられない、その鬱憤が積りつもって、大雨で水嵩(みずかさ)が増して行くように緩慢に似て漸く強大である。

    どこの村から、どう起ったかということは今わからないけれども、近江の四周(まわり)の山水が湖水へ向って集まるように、湖岸一帯の人民の不平が、ある地点へ向って流れ落ちて溢(あふ)れて来る。


2006-12-16T12:49:57

  • 大菩薩峠不破の関の巻

  •  磐城平(いわきだいら)方面から、海岸線を一直線に仙台領に着した七兵衛は、松島も、塩釜もさて置いて、まず目的地の石巻(いしのまき)の港へ、一足飛びに到着して見ました。


2006-12-16T12:44:23

Wikipedia:中里介山


中里 介山(なかざと かいざん、男性、1885年(明治18年)4月4日 - 1944年(昭和19年)4月28日)は、日本の小説家。本名は、中里 弥之助。
神奈川県西多摩郡羽村(現在の東京都羽村市)に精米業者の次男として生まれる。玉川上水の取水堰にほど近い多摩川畔の水車小屋で生まれたと伝えられる。生家は、自由民権運動で三多摩壮士と呼ばれた人びとの根拠地で、民権運動の気風が色濃く残る土地であった。
少年時代に農家であった実家が土地を失い、不遇の時代を過ごした。小学校を卒業後、電話交換手や代用教員の職に就き、一家を支えた。この時期に、松村介石に傾倒し、号の「介山」も松村にあやかるものだという。